【至福の一杯】第一回:ラーメン基礎知識【本格的な味わい】
ひと口で虜になる本格的な極上の一杯を探してみませんか?
第一回は「ラーメン基礎知識」をお届けします!
9月にお届けするのは「ラーメン」!
もはや国民食と言っても過言ではないですよね。
味も種類も星の数ほどある「ラーメン」。
第一回は入門編となる「ラーメン基礎知識」をお届けします。
■「ラーメン」とは?
漢字で「拉麺」または「老麺」と書き、別名で「南京そば」「中華そば」とも言います。
「拉麺」の「拉」は中国語で「引っぱる」、「麺」は「生地(小麦粉などでできたもの)」という意味。
「拉麺」が中国のどこの地域で生まれたかについては諸説あり、現在のところはっきりとした答えはないようです。
しかしその歴史はとても古く、漢の時代には「鬻(yù)」と呼ばれる初期の麺料理が記録されているのだとか。
これが現在の「ラーメン」の前身と考えられています。
また「老麺」という文字も目にしたことがあると思います。
こちらの「老麺」は「老(時間の経った)」「麺(生地)」の意味。
饅頭の皮などにも使ったりする「熟成された生地」全般を指します。
使用する度に少量を残して種として取りおき、種に粉と水を足して繋いでいくのだそうです。
「老麺」は、繋いでいく過程で、生命力の弱い菌は淘汰され強く質の良い菌が残されて、どんどん丈夫で美味しく育っていくのだとか。
中には何十年、何百年と受け継がれているものもあるそうですよ!
■中国から日本に伝わった「拉麺」
中国発祥の「拉麺」が日本に伝わったのはいつでしょう。
日本で初めて「拉麺」が食べられたのは、室町時代の僧侶が残した日記「蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)」に登場する「経帯麺」だと考えられています。
この麺は小麦粉とかん水を使用しており、現在の「ラーメン」の麺に近い特徴を持っていました。
また、江戸時代には水戸藩主・徳川光圀が中国から招いた儒学者の朱舜水(しゅしゅんすい)が作った「汁そば」も、「ラーメン」の起源の一つとされています。
この「汁そば」は、鶏がらスープに野菜や肉を加えたもので、現代の「ラーメン」に近い味わいだったとか。
ただし、どちらの「ラーメン」も当時は上流階級のみが楽しめる料理だったようです。
■日本で広がる「南京そば」
明治時代に入ると、日本の港町に中華街が誕生し、中華料理店が増加しました。
当初は高級中華料理が中心でしたが、次第に大衆向けの麺料理「南京そば」も提供されるようになります。
「南京そば」は、当時の日本人にとって馴染みのない異国情緒あふれる料理でした。
特に、豚骨や鶏がらをベースとしたコクのあるスープに、タケノコや豚肉、海老などの具材が盛り込まれ、濃厚な味わいが特徴的でした。
この「南京そば」が、日本人の好みに合わせて進化を遂げていくことになります。
しかし、まだこの時点では「ラーメン」という名称は定着しておらず、「南京そば」や「支那そば(当時呼称)」と呼ばれることが一般的でした。
■中国の「拉麺」と日本の「ラーメン」の違い
さて、ここで中国の「拉麺」と日本の「ラーメン」の違いについて簡単にお話ししましょう。
中国の「拉麺」と日本の「ラーメン」の決定的な違いは、鹹水(かんすい…アルカリ塩水溶液)を加えるか加えないかという点にあります。
鹹水を加えるのが日本の「ラーメン」の大きな特徴で、これによってあのシコシコ感が出てきます。
中国の「拉麺」にはこれがなく、そのため日本のうどんに似た感触です。
また、日本の「ラーメン」はこねた小麦粉を伸ばす時に手作業ではなく「製麺機」を使います。
こねて伸ばすという工程が手作業かどうかも日本と中国では異なります。
■「拉麺」から「南京そば」、そして「ラーメン」へ
1910年、東京浅草に広東料理店「来々軒」が開業しました。
「来々軒」は日本人の好みに合わせた醤油味のあっさりスープ、細めの縮れ麺、チャーシューやメンマ、ネギなどのトッピングを乗せた「支那そば」を提供し、「ラーメン」の一大ブームをおこします。
これが現在の「東京ラーメン」のスタイルの原点と言われています。
そして全国に広がるきっかけとなったのが1923年の関東大震災だと言われています。
被災した東京や横浜を中心とするラーメン店が地方都市に移り住んだことで、「ラーメン」が日本全国に広まっていったのです。
この時、手軽に始められる「ラーメン屋台」が増加。
この「ラーメン屋台」の増加が、「ラーメン」の専門店化を促進したと考えられています。
関東大震災後、東京を離れた人は、北は北海道から南は九州まで、日本各地で現地の味覚に合わせて「支那そば」をアレンジし、地域色豊かな「ご当地ラーメン」を生み出していきました。
札幌のラーメンは味噌ベース、博多のラーメンは豚骨ベースなど、今日の「ご当地ラーメン」の原型は、この時期に形作られたと言われています。
■庶民の味と「ラーメン」文化の広がり
その後、第二次世界大戦により、多くの中華料理店や「ラーメン屋台」が閉店に追い込まれました。
食料不足や物資統制により、「ラーメン」に必要な材料の入手が困難になったためです。
しかし戦後、各地域でヤミ市が誕生し、再び「ラーメン屋台」が増加します。
安価で高カロリーな「ラーメン」は、戦後の食糧難の時代に人々に歓迎されました。
米軍からの小麦粉の安定配給も、「ラーメン」普及の追い風となりました。
「ラーメン」の価格を抑えることができ、多くの人々が手軽に楽しめる庶民の味「ラーメン」の誕生となったのです。
この時期の「ラーメン」ブームが、現在の「ラーメン」文化の礎を築いたと言えるでしょう。
■「ラーメン」という呼び名
実はこの「ラーメン」という呼び名が定着したのは、1958年、かの「チキンラーメン」の登場によるものです。
これまで「南京そば」から「支那そば」そして「中華そば」といった呼び名から「ラーメン」という言葉が全国のお茶の間へ広がりました。
■多種多様な種類
「ラーメン」、と聞いて思い浮かぶのは「アツアツのスープにツルツルと美味しい麺」。
・・・なのですが、日本で独自の進化を遂げた「ラーメン」もたくさんあります!
最後に少しご紹介したいと思います。
みなさんはいくつご存知ですか?
〇冷やしラーメン
暑い日本の夏にピッタリの「冷やしラーメン」。
そのルーツは意外にも古く、発祥は山形県で1952年に生まれたと言われています。
お客様からの「冷たい蕎麦はあるのに冷たい中華蕎麦は作れないのか」と言われたのがきっかけ。
今ではすっかり夏のメニューとして山形県では定着しているそうです。
「冷し鳥中華」
https://recipe.yamasa.com/recipes/3900
〇焼きラーメン
福岡県博多市、屋台発祥のソウルフード「焼きラーメン」。
茹でた「ラーメン」の麺に豚骨スープと特製ソースを絡めて鉄板で焼いた料理です。
暑い時期にスープを飲めないお客様のために考案したと言われています。
福岡県の屋台が元祖という事もあり、当初は福岡県でしか食べられていませんでしたが、今では「焼きラーメン」のインスタントラーメンもあるほどの人気ぶりです。
〇煮込みラーメン
麺とスープを別々に調理して器によそう「ラーメン」に対して、その名の通り麺も具材も一緒に煮込む「煮込みラーメン」。
鍋の〆はもちろん、「煮込みラーメン」単体のレシピとしても人気です。
長崎名物「ちゃんぽん」がこの「煮込みラーメン」と同じ作り方です。
〇あんかけラーメン
「あんかけラーメン」は、具材を炒めてとろみをつけた「あん(餡)」をしょうゆ味の「ラーメン」に乗せた日本独自の「ラーメン」スタイル。
具材の旨味たっぷりの「あん」は「ラーメン」のフタにもなっていて、寒い季節にぴったりの一杯!
代表的なものの一つが「五目あんかけラーメン」や「広東麺」。
お店によっては、塩ベースのものを「五目あんかけラーメン」、しょうゆベースのものを「広東麺」と区別していることもあるようです。
そして横浜発祥の「サンマーメン」も有名ですね!
「サンマーメン」は野菜が細切りにされ、もやしを中心とした具材が使われることが特徴です。
余談ですが「広東麺」という名前ではありますが日本のオリジナルレシピ名。
中国で「広東麺」と言っても「あんかけ」は出てこないのでご注意を・・・。
横浜ご当地グルメ「サンマーメン」
https://recipe.yamasa.com/recipes/3821
いかがでしたか。
「ラーメン」の歴史に触れた第一回。
次回は「ラーメン」の「かえし(スープのたれ)」についてお届けします!
【至福の一杯】第二回:ラーメンのかえし【本格的な味わい】です。
お楽しみに!
がりがりチキンさま
コメントありがとうございます!
着実に秋がきていますよね♪
そして夜にはアツアツのラーメンが美味しい季節がやってくる!!