誕生は130年前! 日本初のソースができるまでの意外なヒストリー!
■日本で初めて作られたソースの名前、味は…!?
みなさん、こんにちは! Happy Recipeスタッフの田辺です。
突然ですが、ヤマサといえば、醤油ですよね。
でも、じつは日本で初めてソースを作ったのも、ヤマサなんです!
以前、「日本で最初にソースを作ったのは?」の投票を行なった際、
「ヤマサ」と回答された方が最も多かったのですが、まさに正解でした。さすがですね!
さて、今回はそんなソースが生まれるまでのヒストリーをご紹介しましょう。
日本で初となる国産ソースは、明治18年に
ヤマサ8代目濱口儀兵衛(濱口梧荘/以下、梧荘)が開発した「ミカドソース」でした。
「ミカドソース」はしょうゆにスパイスを加えたもので、「新味醤油」として商標登録し、特許を取得。
今でいうウスターソースのようなものだったとか。
そして1887年、日本では「新味醤油」の名前で、
またアメリカでは「ミカドソース」という名前で販売されたそうです。
ちなみにミカドは、三角形だったボトルの形状から名付けられたとか。
それにしても、なぜヤマサがソースまで作ったのでしょう?
まず明治時代になると、文明開化とともに様々な西洋料理が紹介され、
ライスカレー、トンカツ、コロッケなどの和風洋食が生まれたことが背景にあります。
そして、「ミカドソース」ができる少し前の1885年(明治18年)のこと。
7代濱口儀兵衛(濱口梧陵/以下、梧陵)が、夢だった世界旅行へ出かけた際に、
アメリカでウスターソースの存在を知ったのだそうです。
■7代濱口儀兵衛の意志をかたちに
梧陵は、事業家としてだけでなく、社会福祉事業や政治活動にも励み、
日本の発展のために力を尽くした近代日本の一偉人といわれている人物。
1854年、安政の大地震による大津波の時には、津波を予期した梧陵が村民を避難させるため、
自分の田圃に積んであった収穫後の稲束(稲むら)に火を投じて急を知らせ、
村民の命を救ったというエピソードも。
これは「稲むらの火」として伝えられ、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターから成る
「稲むらの火の館」が建設されているほどです。
「稲むらの火の館」詳細はこちら>>
多大な活躍で、ヤマサにも、そして日本に貢献した梧陵でしたが、
残念ながら、旅先のアメリカ・ニューヨークで病没。
まだ64歳だったそうです。
そんな梧陵の意志を継ぎ、ウスターソースを「ミカドソース」としてかたちにしたのが
8代目の梧荘だったのです!
ところが当時の人々は、その味になかなか馴染めなかったようで、「ミカドソース」は1年で製造中止に…。
どんな味だったのか、気になりますね。
日本のソース第一号を作ったヤマサの歴史、なるほど〜と思っていただけたでしょうか。
ソースの歴史のトリビアとして、ぜひ、記憶に残していただけたらうれしいです!
関西なのでこなもんをよく食べます。
ソースは必須!
お世話になってます!