「徳川家のグルメ将軍も愛した豚肉!豚肉の歴史」
どんなレシピで食べたの?
誰かに話したくなる!豚肉の歴史のお話です。
今日は私と一緒に豚肉の歴史を探りにタイムトリップしましょう!
■冬を乗り切る肉・・・縄文時代
まずは縄文時代にさかのぼります。
この頃には犬を使った狩りをはじめた頃です。
本州で食べていたのは「猪」と「鹿」。
北海道の縄文人は鯨やオットセイなどの海の動物に頼っていたようです。
■すでに飼っていた!!・・・弥生時代
なんとここで豚肉が登場します。
食用の家畜はいなかったとこれまでは考えられていたこの時代。
しかし実は豚も鶏もいたことが最近の研究で証明されているんだとか。
驚きです!!
■肉食が禁止された奈良時代以降の1200年間・・・でも食べていた!?
天武天皇4年(675)に「殺生肉食禁止の詔」が出され、明治5年(1872)に明治天皇が肉食を解禁するまで約1200年もの間、食べなかった時代が続きます。
でも、実は養生や病気の回復のために猪や鹿などが食べられていたようです。
■昔の人もバターが好きだった!?奈良時代から平安時代にかけての貴重な文献
このとき、大陸からは遣唐使によって牛乳と油を取り入れていたと言われています。
唐は漢民族と違って牛乳を取り入れていたために、その帰化人を中心に指導者として、奈良時代から平安時代にかけての100年の間、天皇直営の牧場が積極的に開発されました。
当時の乳製品として「酪」「酥」「醍醐」という言葉が文献に見られます。
酪がヨーグルト、酥がバター、醍醐がチーズと推定されていますが、実際のところは定かではないんだとか。
■「肉食長寿法」を先取りしていた徳川慶喜(とくがわよしのぶ)
徳川将軍といえば、家康。
彼は粗食将軍で有名でした。
そして徳川最後の将軍、慶喜は「グルメ将軍」の異名をもつ人物。
父・斉昭と同じく薩摩産の豚肉が好物で、豚一様(ぶたいちさま、「豚肉がお好きな一橋様」の意)と呼ばれたんだとか。
薩摩藩家老の小松帯刀(こまつたてわき)に何度も豚肉をねだっていたという逸話が残っています。
慶喜は、家康よりも2年長生きし、77歳で大往生。
子どもはなんと24人!!
当時の平均寿命は40歳前半ですから、豚肉効果アリ!?見事な長寿ですね。
■ではどんな方法で食べていたの?
慶喜が豚肉をどう調理して食べていたのか・・・残念ながら記録に残っていないのです。
しかし、時代背景から肉鍋が有力なのですが、明治後期にはとんかつも登場していたことから、とんかつを食べていた可能性もありますね!!
彼は豚肉ばかりではなく、牛肉やジビエ料理もよく食べたんだとか。グルメですね~♪
■幕末で肉鍋ブーム到来
この時代には江戸の町で肉鍋を出す店が増えるなど、それまでタブーとされてきた社会システムもほころび始めてきました。
おいしいものには勝てない・・・今も昔も同じですね。
■忘れてはいけない西郷隆盛(さいごうたかもり)
「南洲翁逸話(なんしゅうおういつわ)」に、西郷隆盛は「豚骨とみそ汁を好まれ、骨をすすりてその味を賞せられた」と紹介されています。
若い頃には大久保利通とともに、猪やうさぎなどの狩りに行くのが趣味だったという西郷隆盛。
薩摩藩では、獣肉食がタブーとされる江戸時代でも、豚や猪、鹿などの獣肉をよく食べていたようです。
■薩摩藩では豚を飼育していた!?
薩摩藩邸跡の発掘調査では多くの獣骨が発見されました。
その6〜7割が豚または猪の骨だったとか!
しかも多くが成長の止まる1歳から1歳半のものであったことから、豚が飼育されていたのでは?と言われています。
■薩摩藩士にとってパワーフード「豚肉」
豊富な動物性たんぱく質やビタミン類を含む豚肉。
薩摩藩の人間は、江戸時代の日本の男子の平均身長と言われる155cmよりも身長が高かったようです。
西郷の明治初頭の身長は、残された軍服などより約178cm、体重は約110kgと推定されています。
がっちりとした体格だったんですね!
そして、勤務する藩士たちへのまかない料理に、豚汁や炒(い)り豚(豚肉の炒め物)などを出したという記録も残っています。
■強い男は豚肉を食べていた?薩摩藩と新撰組の共通点
戦国と幕末の薩摩人は「薩摩隼人」と呼ばれ周囲から恐れられていました。
豚肉を食べる「肉食集団」だったからかも知れません。
そして幕末に活躍し、薩摩人と並んで精強と言われた「新撰組」。
彼らも当時まだ珍しかった豚肉料理を導入し、養豚も開始していたそうです。
強い男は豚肉がパワーの源だったのかも!
■牛鍋に押されていた豚肉にスター選手が!!・・・「とんかつ」の登場
明治初期になると、文明開化の象徴の1つ「牛鍋」が大ブームに。
しかし豚肉はまだ好んで食べられていなかったようです。
ところが明治後期になると東京の各地で豚肉料理が誕生していきます。
東京銀座の元祖洋食店・煉瓦亭が1889(明治31)年に、豚肉を油で揚げた料理を考案し『ポークカツレツ』と銘打って、とんかつの原形メニューを出したのを皮切りに、1918(大正7)年には『カツカレー』が作り出され、1921(大正10年)には『カツ丼』が誕生し、同年には新宿で開業した洋食店「王ろじ」が、今日の『とんかつ』を考案しました。
■関東大震災と豚肉
明治末期から豚肉料理が世間一般に広まりました。
そして、1923(大正12)年に発生した大災害・関東大震災の後、日本政府が東京にコレラが蔓延することを危惧し、東京市民に生魚を食べる事を制限したのをご存知でしょうか。
それがきっかけで豚肉の需要が一気に高まることになります。
■そば屋で「かつ丼」がメニューにあるワケ
ところで、そば屋で「かつ丼」を見かけることはありませんか?
理由は大震災発生直後の同年、それまで洋食の台頭により、瀕死の危機の状況であったそば産業が経営打開策として、とんかつを提供したのが始まりだと言われているのです。
面白いですね。
いかがでしたか?
肉食が禁止されていた空白の1200年の時を経て、現在では 約250種類もの豚が飼育されるほどになりました。
こっそりおいしいものを食べる私たちの探究心は今も昔も変わらないですね。
今夜は将軍もとりこになった豚肉を、お好きなレシピで楽しみませんか?
次回は「お肉だってさっぱり食べられる!豚肉さっぱりレシピ特集」です。
お楽しみに☆
ロイスさま
コメントありがとうございます!
うわー!!嬉しいですヽ(*´∀`)ノ
頑張って記事にした甲斐があります☆